ああ、なんだろうか。
全くサロンにも関係ないことを書きたくなってしまったのだけれども。
昨日は、シェイプオブウオーターを観に行って
(感想「もしも半魚人と恋に堕ちたら・・シェイプオブウォーター)
なかなか私は楽しめたので、映画の観方について
ちょっと思ったことを。
映画は好きに観れば良い、以上!
先に結論出しちゃうとそういうことなんだけれど
最近は、映画を観る上で「批評、評判は気にしないで、とりあえず、あまり調べないで観に行く」ことをしている。
一時期、外れ映画を観たくないがあまり、作品について詳細に調べて予習してから映画を観に行っているんだけれども。。。
そうするとね「自分の感覚」を感じにくいわけよ。素直に感動したりするんじゃなくって、「ここは感動ポイントって書かれていたな。」とか、そんな自分の思考じゃない観点で映画を観ちゃわけよ。私って弱い人間だからさ、他人の意見に流されちゃうんだよね。意志の強い人、他人の意見には全く左右されない人は、批評家が何言おうと知ったこっちゃないで楽しめるのでしょうが、私はそうじゃない。悲しいながら、洗脳されやすい一般人なわけですたい。
映画は人生経験によって観方は変わってしまうもの
私たちは今までの人生経験はみんなそれぞれ違う。
なので、同じシーンを観たとしても観方が全く180度変わってしまうもの。例えば、2017年に流行った「ララランド」これね、私にとっては最高に面白かった。
なぜかというと、私が過去に幸せな恋愛経験を体験していたからだと思う。
うんとね、「私は恋愛してたのよ。」といばるつもりは全くない。ただ、事実として、私に、そういう幸せな恋愛経験があっただけ。
だからこそ、最後の5分間に様々な思いが訪れる。
ああ、あの時にこうしていたら良かったかな・・・とか、その幸せだったし、今はもう一緒にいなかった人のことをあれこれ考える。「あの時、こうだったら、私たちは一緒にまだ続いてきっと幸せな未来を創っていたのかもしれない。。」と、永遠に終わりのないタラレバを繰り返す。
そのタラレバという話は、思い出す私にとっては至福の時間でもあり。
今がどんなに幸せであったとしても「あの時、こうだったらなあ。」という妄想ほど美しいものはない。そんな妄想の都合の良いタラレバのことを思い出させてくれるから、「ララランド」は、美しく記憶に残る。
だから、映画なんて言うものは、個人の経験と照らし合わせて勝手に楽しむのが一番楽しいのだと思うのだ。おそらく、恋愛に興味のない人にとっては、「ララランド」なんて、全く持って楽しめないものだろう。
映画の作り手さんたちへ想いを馳せる
最近、自宅付近の目の前の階段の処で映画の撮影があった。
最初に配られた紙に、撮影の詳細が書かれていたのだけれども。。。
「スタッフ50人出演者3人」と。
撮影の時に、うちの駐車場に機材を置いたりさせて欲しいという要請が2週間ほど前にあり、菓子折りを持ったスタッフの方が見えられて。丁寧に説明をされて。
そして、当日は、朝9時から夕方4時位までの撮影があったが、実際に映画に出てくる場面は1分少々といったところだろうか?俳優さん二人がすれ違って会話をするというもの。そのシーンだけなのに、数時間も時間をかけて撮影している。
もちろん、俳優さんたちよりも、車がこないように通行止めしている人とか、音を拾っている人、カメラ、なんだかケーブル片づけたりしている人とか、わさわさと数十人の人たちが作業していたり、朝も、バスを連ねて撮影隊が来ていたりして。
天気も晴れの日を待ったりと。
どんな映画もその数分のために数時間費やしたり、数多くの人が関わったりしている現実を目の当たりにすると、もうね、映画を作っている人たちへの苦労とか、その映画館で上映されるまでのものすごい消費されたエネルギーを感じると、畏敬の念を抱いてしまう。
だからこそ、映画は楽しんで観たい。作り手さんたちへの感謝の気持ちをこめて。